
本日、Dalai Lamaの公演に行ってきた。
トピックはuniversal responsibilityという題で、皆の責任、人類の責任と言い換えてもいいのでは無いだろうか。
話の内容は、私の持っている哲学ととても近く、世から戦争、テロをなくす為の手法も私がずうっと思い続けているモノと同じだった為、新たな発見には遭遇できなかったが、私の考え、思いがダライ・ラマという人生を人の為に捧げてきた人と似通っていた事に共感を持てた。
概略を説明すると、自分を幸せにしないと周りに幸せを与える事ができない。幸せになる際に、自分勝手ではいけなく、周りに悪影響を及ぼさないように注意する必要がある事。怒りをもたず、自分を理解し、人生は悔いの残らない人生にする事といった事だろうか。
流れとしては、まず心を幸せにする事が何よりも大切なことを指摘していた。
例として、いくら贅沢ができても、5感全てを絶頂にする環境にいても心に不満があれば、不満である事に対して、5感全てにある程度不愉快な環境(臭い、醜い等)にいても心が幸せで満たされていれば、幸せでいる事を挙げていた(私もインドには行ったが、日本やアメリカなどより笑顔の多い人が多い、日本でも田舎に行くと素敵な笑顔を持つ人が多いが、何故と考えるとお金や世の中のステータスではない事は明快だ。)
この件に関しては、「幸せの尺度は人によって違う」、「お金と幸せの関係」でも似たようなトピックを触れたが、内面を満たさないといくら外観を良くしても、お金があっても、綺麗な女性と付き合っても幸せにはなれない。内面ありきなのである。
そして個人、個人が幸せを掴んだ後に外に手を伸ばす必要があると氏は指摘した後、現在の世の中、グローバル社会に目を向けて氏は話始めた。
氏はグローバル社会とは、地球一つが、一つのコミュニティであり、一人の自我がチームもしくはコミュニティを滅ぼすように、一つの国の自我が世界を滅ぼす事を指摘していた。
われの事だけを考え、相手の事を考えずに何かをする事は最終的に自分にそのシッペ返しが返ってくる事を指摘していた。まさに現在、アメリカに向けられたテロがその良い例だろう。
テロや戦争をなくす為には、皆個人が心の幸せを掴む必要があり、相手を思いやる心が必要だと氏は指摘していた。
多くの人はアフリカや中国の貧乏な人たちをどう救うか、チベットの人たちをどう救うかという議題を期待していたようだが、自分の中の幸せを見つけない限り、人は他の人は救えないという事だろう。このコンセプトは私が長年持っているモノで、下手にチャリティーでアフリカの子供一人救って喜ぶよりは、周りの友達、自分のコミュニティの人達の心を救う手伝いが先なのではないのだろうか。コミュニティ全体が幸せになり、各自がアフリカの子供達を救うといったら、一人で子供一人救うよりよっぽど大きな貢献ができるだろう。
内面から外へ、周りからまたその周りへ、国内から国外へというのが正しいアプローチなのではないのだろうか。マザー・テレサ、ガンジー等、大きな影響を及ぼした人達も、自分、そして身の回り、そしてそのまた周りの人達というアプローチをしてきたように。
最後に、質問がいくつかある中、死を恐れるべきかという質問があった。
氏の答えは生があれば、死がある。死を恐れるのではなく、死を喜ばしいモノにする為にどうすればを考えるべきである。満たされた、幸せな人生をどう生きるべきかを考えるべきかを考えるべきかと言っていた。まさにその通り、いつ死んでも後悔しないよう、毎日を楽しみながら、満たされた日にする努力をするべきだろうと再認識した一日である。

投稿日時:2004年04月18日 Blogger:シューベルト シダ Aka Dashi
He went to UBC too right? Too bad I left UBC a year ago..
Posted by tomoko at 2004年07月11日 23:40 (Spam: 50%)