
高校、大学と住んでいたカナダに戻ってきて、あと少しで半年が経とうとしている。
昔の知り合いとも色々と会う機会を持てるようになっているのだが、今まで私が話してきた事が影響したのか(私は真面目な話ばかりする人間です。はい..)、何人かが自分達の人生を見直している。自分との語りの時間を作っているのだ。
近頃、自己アピールの大切さが日本でも重要視されてきている。自己アピールは自分を知っていないとできない。自分の強み、自分がどういう人間なのか、自分は何をしたいのか等の質問に答えられて始めて真の嘘偽りの無い自己アピールという事ができるのだと私は思う。
事実、自己アピールができている人は自分を周知している人が多いと思わせる人が私の周りには多い。話がそれてしまったが、昔の知り合いで人生を見直している何人かが、この自分への質問、自分の発見をしている中で、相当苦しんでいる。
私も経験したが、自分が何をしたいのかを見つけたり、自分の強みを理解すると、何処に行くべきか(ベクトル)が解るのと同時に、今まで何をしてきたのかを責めたくなる。自分が時間を無駄にしてきたと思うからだ。
ここで思うのだといっているのは、私はこれはあくまで、個人の思いであり事実は別にあると思っているからだ。
それは、私は人それぞれ、自分を見つけるべきタイミングというモノがあると思っているからだ。私も過去考えてみると、何回か自分を見つめなおすチャンスはあったが、なかなか足を踏み入れなかった。自分を真剣に見つめなおしたのは2年前くらいからだった。
今、考えると2年前以前は自分を発見する為の下地、自分を発見しなければいけないという窮地に自分を陥れる為の時間だったのだと思う。人それぞれ成長の早い遅いはあるし、それを無理やり変える必要は無いと思う。大切なのは、その刻が来た時に無視しない事だ。無視すれば、死ぬ時に笑顔で死ぬのは難しいのではないだろうか。
年をとればとるほど、この人生を見直して本当の自分を見つけて自分のやりたい事を見つけ、そこに向かって歩くのは大変になるというのは事実だろう。年をとればとるほど、本当の自分を見付けた時にそこまでの時間を無駄にしたと思い、今までの苦労が水の泡になるという苦痛と戦わなければいけないからだ。
例としてアメリカ、カナダ、日本を見てみよう。先進国は発展途上国と比べて忙しい人がとても多い。アメリカ東海岸の人たちは特にきちがいのように忙しくしている。日本でも良く社会人が、定年が来たらどうしようとか、仕事をしなかったら何をするんだと恐怖心を抱えている人と話をした覚えがある。
何で、忙しくしていないのが、怖いのだろう?静かな時間は考える事を個人に強制させる。考えるという過程は、自分との会話だと私は思っており、考えれば、考える程、自分を見つける時間を設ける事になり、自己発見を避けられなくなる。自分を見つけたくない人は、考えるのを避ける為に、テレビを付けたり、本を読んだり、ゲームをしたりして気を散らす。この気を散らすという言葉、まさに自分拒否の言葉であるような気がする。
知り合いの中で挫折をしようとした人間が悩みに悩んで私に相談にしてきた。無責任ながら私が言った事は以下の言葉だ。
”自分のやりたい事、自分を発見する事を今避けるという事は次の機会もしくは、人生終わるまで、本当はやりたくない事、偽りの自分で人生を歩む事になる。今は苦しいかも知れないけど、もしこの試練を乗り越えられれば、君は本当にやりたい事、真の自分として人生を歩む事ができる事になる。2年後に突然交通事故に会って死んだとしたら、君はどちらの思い、どちらの状況で死にたいか考えてみてよ、そこに答えがあると思う”
何歳になっても、自分を発見して自分の人生を自分の為、真の自分として生きる醍醐味は体験できるのなら、体験すべきだと私は思う。今までやってきた事はあくまでそこに辿り着く為のステップであると見れば、それでいいのではと私は心底思う。
死ぬ時に後悔して死なないと断言できるのなら、別にいいと思うが、心の奥底で真の自分が出てきたがっているのに、無視して死んで場合に、後悔しないという事はありえないだろう。
人生一度だとしたら、極限までエンジョイすべきでしょ!

投稿日時:2004年01月25日 Blogger:シューベルト シダ Aka Dashi
こんにちは!この記事で書かれていること、その通りだと思っています。
あした死ぬかもわからないと思って生きているので、
わたしは、できるだけ自分が純粋に今したいことをしていたいと思うのですね。
Posted by shui at 2004年01月25日 18:47 (Spam: 0%)ただ、一見無駄に思える時間でも、自分には必要だったのだ、と思うことにしています。
それは自分への思いやりでしょうか。