
私は"have to"という言葉が大嫌いだ!"have to"とは基本的に"~やらなければ"という事を意味するが、この言葉を使うと、自分が主体的になっていない事が何よりも私は嫌いだ。
"働かなければ"、"電話しなければ"、"掃除しなければ"とか、義務、責務という色がとても多い。やるのもダルくなってしまう。ただの重荷である。
話に入る前に目を閉じて”○○やらなければいけない”という事をリスト化して頂きたい。
昨日、従兄弟の誕生日で叔父の家に遊びに行ったのだが、その時にこの話題が出たので、私なりにどうこの"have to"と付き合っているかを共有させて頂きたい。
さて、何故この話が出たかというと、ソーシャルコンディショニングの話が出たからだ。私達はマスメディア等の影響で、自分がこうなるべきだという像を外から押し付けられている。父親はお金を稼がなければ、母親はいつも笑顔でなければ、子供を大学に行かせなければ、かっこいい車に乗らなければ、GUCCIのバッグを買わなければ等、全てソーシャルコンディショニングである。
考えてみて頂きたい。孤島に家族3人だけで住んでいた場合に上記のような責務を感じるだろうか?感じないだろう。
私は”やらなければいけない”という事は一つもこの世の中に存在しないと思っている。例えば息子達に食事を与え、屋根を提供する事が親の責任といわれているとしよう。本当にやらなければいけないのだろうか?いや、そんな事はない。食事、屋根を与えなければ息子達が凍え死に、飢え死にする結果が待っているが、責務ではない。
タバコをやめなければいけないのか?責務は無い、ただ辞めなければ肺ガンになって死ぬという結末が待っているだけだ。
こう見て頂くと、本当にやらなければいけないという事は一切無い。自分の選択次第でやらなくてもいいのだ。ただ、やらない場合の結果を受け入れなければいけないのも事実としてある。
私もたまに”やらなければ”という言葉が口に出そうになる。そんな時にはその”やらなければ”いけない事をしない結末を考える。以下、例になる。
”今日レポートを仕上げないと”
↓
”レポートを仕上げなかったらどうなるだろうか?”
↓
”明日のプレゼンでお客さんに出す物が無くなる。”
↓
”会社に首にされる”
↓
”職が無くなり、収入が無くなり、子供達が飢え死にする”
という事になる。”子供達が飢え死にする”のは嫌だろう。それではその自体を避ける為に何をすべきか、何をしたいかという事を考える。
”私は息子達を愛していて、衣食住を提供したい為にこのレポートを仕上げる。”
という目標を満たす為に何かをするという主体的な考えになる。
上手く説明できたかどうか解らないが、この"have to"を"want to"にする事は人生を主体的に生き、気持ちよく生きる為にとても効果があるので是非試して頂きたい。
まずは、先ほどリスト化した”○○やらなければいけない”というリストの各項目毎のやらない場合の結末を書きだして頂きたい。
その結末を受け入れられる場合は別だが、受け入れられない場合は、○○になるのが、嫌だから○○しよう。○○したいとリストを書き直して見ていただきたい。これだけでも随分気持ちが主体的になるのでは無いだろうか?皆さんに効果があるか解らないが、私にはとても効果のある方法なので共有させて頂いた。

投稿日時:2003年12月12日 Blogger:シューベルト シダ Aka Dashi
この記事、すごく心に響きました。
私には4歳になる自閉症の子どもがいます。
この子のために自分の才能と時間を使うのがうれしくて、
取り組んでいるつもりですが、
時に「have to」だからやっているワナにはまっていることに気がつきます。
そういうときは、息苦しくて、うまく酸素を摂取できていない感じがします。
自覚症状が出たら休むこと、
本当に「やりたい」という気持ちが起きるまで待つ――
もしも「やりたい」気持ちが起きないなら中止する――
"have to"なんて何もない、というラジカルな言葉、
Posted by カイパパ at 2004年01月04日 03:53 (Spam: 0%)よかったです。
ありがとうございました。